日本がバブルと呼ばれていた頃、自分は大学生だった。足が少し不自由だった為、高校の卒業旅行は北海道のスキー合宿なので参加しない代わりに、両親の勧めでハワイの語学研修に参加した。
当時の為替レートは、1ドルが125円位で、大阪発の空港は、関西国際空港が完成していなかったので、大阪空港、今の伊丹空港から出発、今では、燃費が悪いと淘汰されているジャンボジェット機でハワイへ向かった。
ハワイの語学研修とは言え、語学単位を落とした者の救済を兼ねていたものの、自分は語学単位は習得済みだったので実質、観光、遊びだった。
ハワイでの語学研修は約3週間、地元のハワイ大学で午前中に行われ、午後は、自由時間だったものの、毎日宿題がたくさん出されていたので、結構大変だった。
また、個人的に初めて親元を離れての生活だったので、自分で食事を作ったり、衣服の洗濯をするのが更に大変で、日ごろの母の有難みを感じた。
週末には、オアフ島からハワイ島への小旅行もあり、充実した日々を過ごしたが、オアフ島には、日本のバブル景気もあって、たくさんの日本人がおり、海外というより半分日本の様な感じがした。


